はじめに
私たちの人生は一つの長期的なプロジェクトであり、戦略的に考える視点を持つことで、その質と方向性は大きく変わります。「人生の経営戦略」という考え方は、単なるキャリア論や成功哲学を超え、人生全体を俯瞰し、意図的に設計するための思考フレームワークです。急速に変化する現代社会において、この考え方はますます重要性を増しています。
本記事では、人生を戦略的に捉え、長期的なウェルビーイング(幸福)を実現するための実践的な考え方と方法論を詳しく解説します。特に、ポジショニングの重要性、人的資本の構築、ライフステージごとの戦略など、実際に人生設計に活かせる知見を中心に展開していきます。
能力よりもポジショニングが重要である理由
多くの人は「能力を高めれば自然と成功する」と考えがちですが、組織行動論や人材マネジメントの研究によれば、実際の出世や年収には能力よりも「どこにいるか」というポジショニングの方が強い影響を与えることが明らかになっています。
産業によるポジショニングの違い
日本のGDP成長率と産業規模を分析すると、国内産業間には大きな成長格差が存在しています。たとえば、かつて日本経済を牽引していた自動車産業を含む製造業は、多くの分野で成長率が鈍化または停滞しています。輸送用機械(自動車産業を含む)はGDP成長率が0%を下回り、ライフサイクル曲線で言えば既に衰退期に入りつつあります。
一方で、電子部品・デバイス産業は約8%、情報サービス業は2%以上の成長率を示し、保険衛生、社会事業、知的専門職などの領域も高い成長率を維持しています。日本全体の経済成長が停滞していると言われる中でも、これらの産業は着実に拡大を続けているのです。
組織内ポジショニングの重要性
産業選択だけでなく、組織内でのポジショニングも重要です。同じ能力を持った人でも、成長部門と縮小部門では、与えられる責任や成長機会、評価に大きな差が生じます。また、大企業と中堅企業では若手に与えられる責任の大きさが異なるため、同じ年数働いても人的資本の蓄積度合いに差が出ることも珍しくありません。
ポジショニングを意識したキャリア戦略
ポジショニングを重視したキャリア戦略を立てるには、以下の点を考慮することが有効です:
- 成長産業を選ぶ: 衰退産業ではなく、成長しているか、これから成長が見込める産業を選ぶ
- 組織内の成長部門を見極める: 同じ企業内でも成長している部門と縮小している部門がある
- 責任の大きさを考慮する: 早い段階で大きな責任を持てる環境を選ぶ
- 市場価値の高いスキルを身につける: 特定の組織でしか通用しないスキルではなく、市場全体で価値のあるスキルを優先する
- 将来のトレンドを先読みする: 10年後に価値が高まるであろう領域に先行投資する
これらの要素を総合的に判断し、自分自身の最適なポジショニングを戦略的に選ぶことが重要です。たとえば、コンサルティング業界は近年多くの若者が志望していますが、業界が拡大するにつれて供給量も増え、市場価値が相対的に低下している側面もあります。さらに、論理的思考力やデータ分析などの能力はAIによって代替される可能性が高く、長期的視点では差別化が難しくなる可能性があります。
アリストテレス的人生観:現実と理想のバランス
キャリアや人生に関する一般的なアドバイスには、大きく分けて二つの相反する考え方があります:
マキャベリ的人生論とその限界
一つ目は「マキャベリ的人生論」と呼ばれるアプローチで、世の中をゲームとして割り切り、経済的・社会的成功を最優先する考え方です。この考え方に基づけば、出世や高収入、社会的地位の獲得が最重要目標となります。
しかし、幸福研究の分野では、経済的・社会的成功がそのまま主観的幸福感に直結するわけではないことが明らかになっています。所得と幸福度の関係は一定水準を超えると緩やかになり、社会的地位が高くても幸福を感じられない「成功の罠」に陥るケースも少なくありません。
自分らしさ重視の人生論とその問題点
もう一つは「自分らしさ重視の人生論」で、外的な成功よりも自己実現や「自分らしく生きること」を重視する考え方です。この考え方は一見理想的に思えますが、しばしば現実的な基盤を欠いた空論になりがちです。
実際には、「自分らしさ」を追求するための経済的・社会的基盤が必要であり、「自分らしさ」そのものも社会との相互作用の中で形成されていくものです。さらに、「自分らしさを追求せよ」と説く人々の多くは、既に一定の成功を収めた後にそのメッセージを発信していることも少なくありません。
アリストテレス的アプローチ:統合的な視点
これら二つの極端な考え方の限界を超えるのが「アリストテレス的人生観」です。これは古代ギリシャの哲学者アリストテレスが提唱した幸福論に基づく考え方で、外的な成功と内的な充実の両方を統合的に追求するアプローチです。
聖書の言葉「蛇のように賢く、鳩のように素直に」はこの考え方を象徴しています。蛇の賢さはマキャベリ的な世渡り上手さを、鳩の素直さは理想や誠実さを表しており、この両面性を備えることが真の成功者の条件となります。
アリストテレス的人生を実践するには以下のポイントが重要です:
- 現実的な基盤と理想的な志向の両立: 経済的・社会的基盤を固めつつ、内的な充実や社会的貢献も追求する
- 長期的な視点の獲得: 短期的な利益と長期的な幸福のバランスを取る
- 多面的な成功の定義: 金銭的成功だけでなく、人間関係、健康、知的成長など多面的な成功を定義する
- 倫理的な行動基準: 成功のためにすべてを犠牲にするのではなく、倫理的な境界線を設ける
- 自己省察の習慣化: 定期的に自分の人生の方向性を振り返る習慣を持つ
このバランスの取れたアプローチこそが、真の意味での「人生の経営戦略」の核心と言えるでしょう。
人生というゲームの構造を理解する
人生を一つの長期的なゲームとして捉えると、そのゲームの構造を理解することが戦略立案の基礎となります。あらゆるゲームと同様に、人生というゲームにも特定の要素と法則が存在します。
勝利条件の明確化:ウェルビーイングという目標
ゲームをプレイする上で最も重要なのは、何をもって「勝ち」とするかという勝利条件の明確化です。人生というゲームにおいては、最終的な勝利条件は「ウェルビーイング(幸福・充実感)」であると定義できます。
年収、昇進、社会的認知度などは確かに重要ですが、これらはあくまでウェルビーイングを達成するための手段や部分的要素に過ぎません。最終的には「自分は充実した人生を送れた」と実感できることが本当の成功であり、それ以外の要素はそのための構成要素でしかありません。
使えるリソース:時間資本から始まる資本の連鎖
人生というゲームで使用できる基本的なリソースは「時間資本」です。誰もが平等に与えられた時間をどのように投資するかが、ゲームの展開を左右します。
しかし、時間資本の使い方には戦略が必要です。効果的な時間の投資方法は、次のような資本の連鎖を構築することです:
- 時間資本: 誰もが持つ基本的なリソース
- 人的資本: 時間を投資して得られるスキル、知識、経験
- 社会資本: 人的資本が評価されて生まれる信用、評判、ネットワーク
- 金融資本: 社会資本をベースに得られる経済的リターン
この構造を理解する上で重要なのは、時間資本から直接金融資本を得ようとする近道は長期的には効率が悪いという点です。たとえば、特別なスキルを必要としないアルバイトに多くの時間を費やす戦略は、短期的には収入を得られますが、長期的には人的資本も社会資本も構築されないため、将来の金融資本の成長に限界があります。
資本構築の戦略的アプローチ
効果的な資本構築のためには、以下のような戦略的アプローチが有効です:
- 時間資本の最適配分: 収入を得るための活動、人的資本を構築する活動、社会資本を築く活動のバランスを取る
- 人的資本への集中投資: 特に若いうちは、すぐに収益化できなくても、将来的に価値の高い人的資本の構築に時間を投資する
- 差別化された人的資本の構築: 他者と同じスキルではなく、独自の強みとなる人的資本を意識的に構築する
- 社会資本の計画的育成: 人的資本をベースに、信頼関係やネットワークを戦略的に構築する
- 複利効果の活用: 早期に構築した資本は時間とともに複利的に成長するため、若いうちからの投資が特に重要
例えば、音楽家の坂本龍一氏は、映画「戦場のメリークリスマス」への出演を引き受ける際、単なる出演料ではなく、音楽も担当できることを条件にしました。これは、当時世界的な音楽家だったデヴィッド・ボウイが主演する映画に関わることで、グローバルな社会資本(国際的な音楽・映画関係者とのネットワーク)を構築する戦略的な判断でした。短期的な金融資本より、長期的に価値のある社会資本の構築を優先した典型的な例と言えるでしょう。
経験のインフレと若年期の戦略的投資
現代日本では「経験のインフレ」とも呼ぶべき現象が起きています。これは経験の相対的価値が時代とともに低下している状況を指します。
経験のインフレ現象
戦後の高度経済成長期には、40代前半で大企業の社長になり、30代前半で事業部長、20代半ばで課長になるようなキャリアパスが珍しくありませんでした。しかし、現在の日本企業では50代でようやく部長になるケースも増えており、同じ「部長経験」でも、その希少性と価値は大きく低下しています。
この背景には、日本企業の年功序列的な人事システムやバブル期入社世代の滞留など構造的な要因があります。結果として、単に大企業に長く勤めるだけでは、かつてのような経験の蓄積や昇進が期待できなくなっています。
若年期の人的資本への投資の重要性
このような環境下では、若いうちからの戦略的な人的資本への投資がますます重要になっています。経済学者ゲイリー・ベッカーによれば、様々な投資対象(株式、債券、不動産など)の中で、若年期における人的資本への投資が最も長期的なリターンが大きいと言われています。
具体的には、若いうちに以下のような投資を検討することが有効です:
- 教育投資: 大学院進学、専門資格の取得、留学などへの投資
- 実践的経験: 大きな責任を任される環境や、成長産業での経験を積む
- スキルの多様化: 専門領域だけでなく、関連分野や横断的スキルも身につける
- グローバル経験: 国際的な視野や異文化対応力を養う
- 起業家的経験: リスクを取って新しい挑戦をする経験
たとえば手元に1000万円の資金がある場合、単純に投資信託や不動産に投資するよりも、MBA留学や専門的なスキルトレーニングに投資することが、長期的には大きなリターンをもたらす可能性があります。このような投資は、たとえ借入を伴うとしても、若いうちに行う価値があるケースが多いと言えるでしょう。
大企業vs中小企業のジレンマ
就活時に大手企業を選ぶか、中小企業を選ぶかという意思決定も、人的資本構築の観点から再考する価値があります。大手企業は組織力や研修制度が充実している一方、若手に任される責任は限定的なことが多いのが現実です。
一方、中堅・中小企業では人材不足から若いうちから大きなプロジェクトや海外案件を任されるケースもあり、短期間で濃密な経験を積める可能性があります。「就活ゲーム」での勝者(有名企業への就職)が必ずしも「人生ゲーム」での勝者になるとは限らないのです。
コンフォートゾーンの罠と「絶好調な30代」の危険性
キャリアの中期、特に30代で一定の成功を収めると、「コンフォートゾーン(快適領域)」に留まりがちになります。これは特に30代で順調に昇進し、高い評価を得ている人に起こりやすい現象です。
コンフォートゾーンの問題点
一見すると、仕事がうまくいき、失敗もなく、安定した評価を得ている状態は理想的に思えます。しかし、人的資本の成長という観点からは、これは危険な状態です。人的資本は主に新しい挑戦や失敗、そこからの学びを通じて成長します。慣れた業務ばかりを効率よくこなしている状態では、既存のスキルは洗練されても、新たな能力開発は停滞します。
特に30代は、キャリアの基盤を固め、専門性を深める重要な時期です。この時期にコンフォートゾーンに留まると、40代以降のキャリア発展に必要な人的資本の蓄積が不足する恐れがあります。
コンフォートゾーンを脱出するための戦略
このような状況を避けるためには、意識的にコンフォートゾーンから脱出する戦略が必要です:
- 定期的な棚卸し: 少なくとも年に一度は自分の人的資本の成長を振り返り、停滞していないか確認する
- 新しいプロジェクトの創出: 現状に満足せず、自ら新しい挑戦を生み出す
- 意図的な環境変化: 部署異動、転職、副業など、環境を変えることで新たな学びの機会を作る
- スキルの多様化: 専門分野だけでなく、隣接領域や全く異なる分野のスキルも身につける
- 失敗を恐れない姿勢: 小さな失敗を通じた学びを奨励する自己対話
トヨタ自動車では、社員がコンフォートゾーンに入りすぎないよう、定期的に部署異動や挑戦的なプロジェクトアサインメントを行うことで、継続的な人的資本の成長を促す文化があります。このような意識的な「不快適さ」の創出が、長期的な成長には不可欠なのです。
イニシアチブポートフォリオによる人生設計
人生をより戦略的に設計するための有効なフレームワークとして、「イニシアチブポートフォリオ」の考え方があります。これは経営コンサルティング会社マッキンゼーが提唱した概念で、自分のプロジェクトや活動を戦略的にポートフォリオ管理するアプローチです。
イニシアチブポートフォリオの基本構造
イニシアチブポートフォリオは主に2つの軸で構成されます:
- 馴染みのレベル: 自分にとって馴染みがある(得意・慣れている)分野か、新しい挑戦か
- 収益化のタイミング: すぐに収益化できるか、長期的な投資か
この2軸により、自分の活動は4つの象限に分類されます。理想的には、これらの象限にバランスよく活動を分散させることで、短期的な収益と長期的な成長の両方を実現します。
ライフステージごとのポートフォリオ調整
人生のステージによって、このポートフォリオの最適な配分は変化します。一般的に、人生は以下の4つのステージに分けて考えることができます:
- 春(20代): 探索の時期
- さまざまな分野を試し、自分の適性や情熱を見つける
- 短期的な収益よりも、人的資本の多様な構築を優先
- 様々な「種まき」を行う時期
- 夏(30〜40代前半): 集中と成長の時期
- 特定の領域に集中し、専門性を高める
- 主力となる分野では深い専門知識を構築
- 同時に、将来のための新たな領域への種まきも継続
- 秋(40代後半〜50代): 収穫と多様化の時期
- これまでの専門性をベースに、活動領域を徐々に広げる
- 若手の育成や知識の伝承にも力を入れ始める
- 複数の収入源や活動領域を確立
- 冬(60代以降): 還元と継承の時期
- 蓄積した知識や経験を社会に還元する
- 若い世代の成長を支援する
- ライフワークや社会貢献活動に重点を移す
例えば、30代で戦略コンサルティングに100%の時間を投資していた人が、40代になって徐々にポートフォリオを調整し、コンサルティング50%、執筆・研究30%、教育活動20%というように配分を変えていくことで、人的資本と社会資本の両方をバランスよく成長させることができます。
パラレルキャリアの戦略的活用
現代では、単一の職業だけに集中するのではなく、複数の活動を並行して行う「パラレルキャリア」の概念が注目されています。これをイニシアチブポートフォリオの観点から戦略的に設計することで、より安定した人生設計が可能になります。
たとえば、以下のような組み合わせが考えられます:
- 主業(安定収入)+ 副業(スキル拡張): 安定した企業勤めをしながら、フリーランスで新しい分野にチャレンジ
- 収益事業 + 社会貢献活動: 収益を生み出す事業と並行して、NPOや教育活動に参加
- 専門職 + 創造的活動: 専門性の高い職業と並行して、創作活動や研究活動を行う
各活動がもたらすものを「金融資本」「人的資本」「社会資本」の観点から整理し、戦略的にポートフォリオを組むことで、一つの活動が低迷しても全体としての安定性を保つことができます。
ウェルビーイングにつながる3つの要素
最終的に、人生の経営戦略の目標は「ウェルビーイング(幸福・充実感)」の実現です。心理学や幸福研究の分野によれば、ウェルビーイングを構成する要素はさまざまな理論がありますが、共通して見られる核心的な3要素は以下の通りです:
1. 自己効力感
自己効力感とは、自分が環境に働きかけ、望ましい結果を生み出せるという信念です。これには以下の要素が含まれます:
- マスタリー(熟達)感: 特定の技能や知識を深く身につけている実感
- 自己決定感: 自分の人生の方向性を自分で選択している感覚
- 成長実感: 自分が継続的に成長している感覚
- 貢献感: 自分の行動が何らかの価値を生み出している実感
人的資本の蓄積は、この自己効力感の形成に直接的に寄与します。専門性を高め、独自の価値を提供できるようになることで、自己効力感は強化されます。
2. 社会的つながり
人間は本質的に社会的な存在であり、良好な人間関係や所属感は幸福の重要な要素です:
- 深い人間関係: 信頼に基づく深い人間関係の存在
- コミュニティへの所属感: 自分が受け入れられているコミュニティの存在
- 共有体験: 他者と意味のある体験を共有する機会
- 社会的支援: 困難な時に支え合える関係性
社会資本の構築は、この社会的つながりの質と量に直接影響します。信頼関係やネットワークの構築は、単なるキャリア上の利益だけでなく、幸福感の向上にも貢献します。
3. 経済的安定性
経済的な基盤も幸福には欠かせない要素です:
- 基本的ニーズの充足: 衣食住や医療などの基本的ニーズが満たされている状態
- 将来への安心感: 将来の経済的不安がない状態
- 選択の自由: 経済的制約によって選択が極端に制限されない状態
- 資源へのアクセス: 必要な資源やサービスにアクセスできる状態
金融資本の構築は、この経済的安定性の確保に直接つながります。ただし、研究によれば、一定水準の経済的安定が達成された後は、さらなる所得増加による幸福度の向上は限定的になる傾向があります。
3つの資本とウェルビーイングの関係
人的資本、社会資本、金融資本の3つの資本は、それぞれウェルビーイングの3要素と強く関連しています:
- 人的資本 → 自己効力感: 専門性やスキルは自己効力感の土台となる
- 社会資本 → 社会的つながり: 信頼関係やネットワークは社会的つながりの基盤となる
- 金融資本 → 経済的安定性: 経済的リソースは安定性と選択の自由をもたらす
したがって、人生の経営戦略としては、これら3つの資本をバランスよく構築することが、総合的なウェルビーイングの実現につながります。どれか一つに極端に偏った戦略は、長期的には幸福の実現を妨げる可能性があります。
長期的視点での人生設計:短期的不合理性と長期的合理性
優れた経営戦略の特徴は「短期的には不合理に見えるが、長期的には合理的である」点にあります。人生の経営戦略においても同様のアプローチが有効です。
短期的コストと長期的リターンのバランス
人生の重要な選択においては、短期的な利益を犠牲にして長期的なリターンを狙う判断が求められることがあります。例えば:
- 安定した給与を得られる職を辞めて、スキルアップのために留学する
- 目の前の収入を減らしてでも、将来性のある新しい分野に挑戦する
- 短期的な評価を犠牲にしてでも、新規プロジェクトや改革に挑む
こうした選択は短期的には「不合理」に見えますが、長期的な人的資本や社会資本の構築という観点では極めて「合理的」な判断となり得ます。
試行コストの年齢による変化
新しいことに挑戦する「試行コスト」は、年齢によって大きく変化します。20代で新しいキャリアに挑戦するコストと、40代で同じことをするコストは全く異なります。若いうちは失敗のコストが低く、回復時間も長いため、積極的な挑戦が奨励されます。
40代や50代になって「本当にやりたかったのはこれではない」と気づいても、その時点での転換コストは非常に高くなります。したがって、若いうちに様々な可能性を試し、自分の適性や情熱を見極めることが重要です。
イノベーションと差別化の源泉としての多様な経験
競争力のある人的資本を構築する上で、「他には真似のできない能力」を持つことが重要です。このような差別化された能力は、多くの場合、多様な経験や学びの組み合わせから生まれます。
世界的な企業であるトヨタ自動車の例を見ても、イノベーションは単一の専門領域からではなく、さまざまな経験や知識を持つ人材が交わることで生まれることが多いとされています。一つの専門分野に閉じこもるよりも、複数の分野に触れ、それらを独自の形で統合する能力が、これからの時代には特に価値を持ちます。
リベラルアーツ(教養)の重要性が再認識されているのも、このような背景があります。専門知識だけでなく、幅広い知識や視点を持つことが、予測困難な未来における適応力と創造力の源泉となるのです。
実践的なステップ:人生の経営戦略を立てる
ここまで解説してきた概念を実際の人生設計に活かすための具体的なステップを紹介します。
1. 自己分析と目標設定
まず、自分自身についての深い理解と、人生の目標を明確にすることから始めます:
- 価値観の明確化: 何を大切にし、何によって充実感を得るのかを明らかにする
- 適性・強みの分析: 自分の得意なこと、情熱を感じること、市場価値のあるスキルを分析する
- 長期的なビジョン設定: 5年後、10年後、20年後にどのような状態でありたいかを具体的にイメージする
- ウェルビーイングの定義: 自分にとっての「幸せな人生」はどのようなものかを定義する
これらを書き出し、定期的に見直すことで、人生の方向性が明確になります。
2. 資本構築の計画立案
次に、3つの資本(人的資本、社会資本、金融資本)をどのように構築していくかの計画を立てます:
- 人的資本の構築計画: 身につけるべきスキル・知識とその方法、タイムラインを設定する
- 社会資本の構築計画: どのようなコミュニティに所属し、どのような人間関係を構築するかを計画する
- 金融資本の構築計画: 収入源の多様化、投資戦略、経済的安定性の確保方法を考える
これらの計画は相互に連関しており、相乗効果を生むように設計することが重要です。
3. ポジショニングの戦略的選択
自分の置かれる環境や所属する組織、業界などのポジショニングを戦略的に選択します:
- 業界選択: 成長産業か、衰退産業かを分析し、長期的視点で選択する
- 組織選択: その組織で得られる人的資本と社会資本を重視して選ぶ
- 役割選択: 組織内でどのような役割を担うことが自分の資本構築に有利かを考える
- 地理的選択: どの地域や国に拠点を置くことが戦略的に有利かを検討する
これらの選択は、自分の目標や価値観と整合していることが重要です。
4. イニシアチブポートフォリオの設計
自分の活動や取り組みを戦略的にポートフォリオ化します:
- 活動の棚卸し: 現在の活動を馴染み度と収益化タイミングの2軸で整理する
- バランスの検討: 短期的リターンと長期的投資、安定と挑戦のバランスを検討する
- 空白領域の特定: ポートフォリオ上の空白領域を特定し、新たな活動を計画する
- 時間配分の決定: 各活動にどれだけの時間を投資するかを決定する
ライフステージに応じて、このポートフォリオは適宜調整していきます。
5. 定期的な振り返りと調整
策定した戦略は固定的なものではなく、定期的に振り返り、調整することが重要です:
- 年次レビュー: 少なくとも年に1回は、3つの資本の成長状況を振り返る
- 環境変化への対応: 産業構造や社会環境の変化に応じて戦略を柔軟に調整する
- 人生の節目での再検討: 転職、結婚、子育て開始など、人生の節目では戦略を大きく見直す
- 幸福度の確認: 戦略が最終目標であるウェルビーイングの向上に貢献しているか確認する
このサイクルを繰り返すことで、戦略は継続的に洗練され、変化する環境や自分自身の成長に適応していきます。
戦略的に生きることの意義
人生の経営戦略を持つことは、単に外的な成功を目指すということではありません。それは、限られた時間資本を最も効果的に活用し、真の意味での充実した人生を実現するための思考フレームワークです。
他者の期待ではなく自分の頭で考える
フランスの文学者ポール・ブルジェは「自分の頭で考えていかなければならない。そうしないと、生きたように考えてしまうから」と述べています。世間の常識や他者の期待に流されるのではなく、自分自身の価値観と目標に基づいて戦略的に考え、行動することの重要性を示唆しています。
特に現代のように変化の激しい時代では、「安定した産業」「終身雇用」といった過去の常識が通用しなくなっています。他者の言葉や一般的な成功モデルを鵜呑みにするのではなく、自分自身の頭で考え、独自の戦略を立てることが求められています。
バランスの取れた資本構築を目指して
人的資本、社会資本、金融資本のバランスの取れた構築こそが、真の意味での成功と幸福への道です。どれか一つに極端に偏った戦略は、長期的には持続可能ではありません。
- 人的資本だけを追求すると、経済的安定や人間関係が犠牲になる可能性があります
- 社会資本だけを重視すると、専門性や経済的基盤が弱くなる恐れがあります
- 金融資本だけを優先すると、自己成長や人間関係が損なわれることがあります
これら3つの資本をバランスよく、戦略的に構築していくことが、ウェルビーイングの実現には不可欠です。
長期的視点で人生という長いゲームに挑む
人生は短距離走ではなく、マラソンあるいはウルトラマラソンのような長い道のりです。短期的な成功や評価に一喜一憂するのではなく、長期的な視点で自分の人生という「長いゲーム」に挑むことが重要です。
短期的には不合理に見える選択でも、長期的な視点では極めて合理的な判断であることも多々あります。勝利条件をウェルビーイングと定め、資本の構築とポジショニングを戦略的に考え、ライフステージに応じた柔軟な戦略調整を行うことで、真の意味で「勝利」した人生を実現することができるでしょう。
自分の人生は自分だけのものであり、その責任は他者に転嫁できません。だからこそ、戦略的に考え、意図的に設計することが、これからの時代においてはますます重要になっていくのです。